不登校になった人間の先とそこにあった福祉

“教育委員会は大ウソつき” 15歳男子生徒が自殺 埼玉 川口 | NHKニュース

 

学校に行かなければよかった。10年経った今でも思う。

私はただ転校をした先で学級崩壊が始まり、カーストの下になってしまった生徒であった。小学校誰も知らない場所から来ると相手の立ち位置を知る時間などない。そうして過ごしているうちにいじめにあった。体育が出来ないからである。私はいつでも運動会と文化祭は撤廃すべき派だ。誰かの犠牲を必要とするイベントなんてあって許されるものではない。そうして文化祭で力尽きた私は不登校になった。フリースクール高卒資格を得るために私立に通った結果、金銭的な負担が多く、家計を圧迫し家庭内も荒れた。この間紹介された福祉サービスなんて青少年相談センターくらいだったが、カウンセラーに怒鳴られたり、言ったことを否定されたりと散々な目にあった。卒業後は就労移行支援に通ったが、酷いパワハラを受けたので私も福祉に対する不信感は強い。もう加害者そのものに加えて、周囲にいた大人達の純粋な冷たさとか悪意に疲弊した。得るはずだった知識よりも失ってしまった人への信頼感が、社会というものにも希望を見出せなくなくするのである。学校とは社会の縮図を語るのであれば、法でしっかり加害者を裁くべきなのだ。

言葉に痛む

私は人と話すのが苦手だ。人が面白いと思うことを面白いと思わなかったり、楽しいと思うことを楽しいと思えなかったりするからだ。人と共有できないものが多い。

私はあらゆる言葉でダメージを受ける。人が慰めのつもりで言った言葉にさらに傷ついたり、人格否定された気持ちになる。
それは私が元気であれ普通であれ前向きであれと理不尽な内容でさえ私の感受性や人格を傷つけ、人の長所も短所も自分を責めるために当てつけのように利用してきた母を持った私だけの価値観らしく、他の人にはわからない価値観らし

人と見たものが同じでも、私はあらゆる物事に母親の自分を責める言葉のダメージが加えられ、人と違う感想を持ってしまう。元気になっての一言に、今の自分を拒絶された悲しみと怒りを持ってしまう。だから人と感覚を共有できないそうだ。作者の意図も組めないし、作品の感想も食い違う。私は物語を楽しめない人間らしい。

専業主婦の人への評価の重さ

専業主婦というのは見えない労働者であり、

罪悪感を抱えながら過ごしている人が多い。

とくに共働きの文化が日本に芽生え始めてからは、

罪悪感の重みが増す人間は増えたことだろう。

労働者は給料という見えた報酬が得られるが、

専業主婦だとそう上手くはいかない。

家計のやりくりをする役目として、

夫が得た金銭というものを使うのは重く感じるものだ。

専業主婦というのは自分への報酬に飢餓していく。

 

そうした専業主婦が何をするかというと、

自分を肯定する為に新しく条件を作り出す。

より丁寧に暮らすとか、精神的な方向性とか、

労働者がさして気にしない方向に自分に厳しくする。

そうして作ったルールで労働者や子供を見たとき、

「なんて出来ていないのだろう」とか、

「私はこんなにやっているのに」とか、

そういう怒りとか妬みが湧くようになる。

労働者は疲れていたり主婦に任せているので、

専業主婦のルールが異様に感じてしまう。

子供には不自由で厳しく、価値観を制限させるものもあり、

息苦しい価値観になってしまうのだ。

家が苦しいというのはこういうものが原因のひとつではなかろうか。

 

そして精神的な方面にルールを作ると、

当たり前にある人間臭さ、個性を否定するようになる。

だから私は意識高い系の話を聞くと恐ろしくなる。

周りの目の為に叱る親と子供の生き辛さ

私の親は世間体が宇宙一大事な人でした。

家族は世間ではないのでゴミみたいな扱いでした。

子供は外に出ると親が豹変する恐怖を味わいます。

人前で失敗しないようにというプレッシャーが、

外の景色や出来事を飲み込んでしまいます。

外や人に対して楽しいという気持ちがなくなります。

そうすると自分の中で生きようとするのですが、

世間体が人との交流を美徳とするばかりに、

過干渉な毒親は私に外で生きることを求めました。

 

私はホテルマンでもなければキャバクラ嬢でもなく、

当時私も子供で周りも子供なのですから、

何かしらの揉め合いというのは起こってしまいます。

そのすべてが自分の責任にされるというのに、

人といて楽しくなれと言われるのです。

 

気が付けば私は人が嫌いにさせられてしまったのです。

自分にばかり厳しいルールがつけられていくうちに、

周りに怯え、楽しそうな周りを憎むようになりました。

何故なら楽しそうな周りと比較して、自分が否定されるからです。

他人の短所や他人との騒動は私の責任にされ、

他人の長所や他人との楽しかったことは、

私が明るくなるようにというプレッシャーに、

人は私を否定する材料にされました。

兄弟差別の優遇冷遇の冷遇側を、

表れた人の数だけ受けなくてはなりませんでした。

だから私は出会いも経験もデメリットだらけです。

悪いことへの記憶力のよさと、思い出しやすさも相まって、

私は閉じこもるしかできなくなってしまいました。

 

人はどろぼう

私の心は底面に常に怒りがある。
少しの刺激で底から怒りは湧き出して、
抑えようとするとさらに暴発する。

紛らわそうとすると、他のことを考えようとすると、心の底から「私の怒りを見て」「そんなもので私を無視しないで」「貴方も私のことを捨てるの」とさらに怒り狂う。

昔はそんな自分を妄想の中で殺していた。
誰かに支配されて、誰かの物になった気になって、自分の気持ちを溶かしていた。
妄想の世界では私は誰かのものであり、誰かは私以外のことを嫌ってて、すぐ二人の世界になれた。殺していたというよりも、酔わせていたのかもしれない。

今は出来なくなった。愛情をくれなかった母がそばにいなくなって怒りを抑圧する必要がなくなったのと、夫という現実からの供給を知ってしまったからだ。

夫がいるのに私は今でも怒りを離せない。
与えられなかった事実への怒りは別なのだろうか。何故なんだろう。私は疲れてて、楽になりたいのに。私はこの怒りをどこに吐き出せばいいんだろう。

平成最後の平成性教育の敗北

22歳の女性が12歳に手を出して逮捕された。

それに対して「羨ましい」という者もいれば、

「犯罪行為」として許さない者もいるし、

「相手の気持ち」というふんわりしたことを言う奴もいる。

 

しかし私は22歳の女と似たような年齢だが、

はっきりと性教育をされたことが少ない。

「夜にはおばけが出てくるから外へ出てはいけない」

という言葉のおばけの部分すら省略されて、

いけないことだという空気だけしか伝えられない。

 

私は性教育の授業にあるあの雰囲気が苦手だ。

体育の前に保健の文字がついた授業は、

先生に監視されながらビデオを黙々と見るもので、

大人からは「子供は性に対して無知で謙虚でなくてはならない」

同級生からは「エッチなことを知っていたらエッチだと馬鹿にされる」

という謎の思い込みか真実かわからないプレッシャーで、

ほぼ凍り付いた状態で授業を行っていた。

 

まともに覚えてるのは生理用ナプキンの使い方。

そしてブラジャーについての話だった。

それも男女で分けての保健体育であったため、

私はその時に男子が何を学んだか知らない。

男はこの時に女性の生理を学べなかったし、

女もこの時に男性の何かを知らされなかったかもしれない。

異性の性については教わることがほとんどなかったのだ。

 

「異性の性」になった途端、無知でなくてはならない。

とくに容姿が恵まれていない女は、

異性に興味を持つことが愚かだとされているので、

さらに付き合い方を知ろうとしなかった。

 

子供にとって性というのは「周りの空気」に支配される。

私は「性的なことに興味があってはいけない」空気が、

息が詰まるほどに受けていたが、

中学になって都会に引っ越した途端に、

「性的なことを知らないなんて馬鹿」の空気になった。

周りのさじ加減で性への感覚は違ってしまう。

性への距離感は空気を読むしか教わっていない。

22歳には何を教えたら防げたのだろうか。

疲れ

通院することに疲れてきた。10年は通院している。

転院をしたら暴言を吐く医者にあったので、

それからは転院というのも恐ろしくてできない。

 

カウンセリングとか保険外の技術のある病院もあるけど、

行ってもどうせ考え方が間違ってるとか、

貴方の受け取り方が悪いとか言われるだけで、

自分を否定されることに疲れてしまった。

 

人から嫌われて、悪く言われて、馬鹿にされて、

それなのに「不信感を治しましょう」と言われて、

人の中に入れられ傷を抉られて、

そんなことで傷つくのが悪いと責められてを繰り返し、

「もう人なんて嫌だ」と思うしかなくなった。

 

多分私は人の中にいることを好きになれない。

過敏な神経は大きな音で弱り、突然のことに反応し、

人の笑い声を疎ましくさせる。

 

私は障害年金をもらっているが、永久認定ではない。

なぜ人間不信は治るなんて思われているんだろう。

「サンタを信じろ」を30になっても信じるくらい無謀だ。

もう通院してもどうにもならないのに、

金銭的に生きていけないから通院をしている。

 

食後2時間から少しずつ回らなくなる頭で、

私が何をまともに出来るというのだろうか。