異性的な名前という歪み

私の名前は男っぽい。
父親から悪ふざけで「〜どん」と呼ばれるたびに、
怒っていたのが幼少期だった。
父は私に「愛想がない」「顔はいい、頭はいい、性格はちょっと」とふざけ半分に馬鹿にするものの、機嫌がいい時はなんでも買ってくれた。しかし豹変する人で鬼の形相になり怒鳴ったり叩いたりしてくるのでアニメに『サザエさんの波平』『クレヨンしんちゃんのみさえ』があったので怒鳴ったり叩いたりするのはおかしいことではないと思っていた。だから家を追い出されるは他の例を知らなくて自分は『こどものおもちゃ』の子みたく捨て子で拾ってもらった身だから、これでも優しくしてもらってるのだと泣きながら考えた。

女の子は髪が長いものなので髪を伸ばし、
スカートを履いて、赤とピンクを好んだ。
白は汚れが目立つという理由で、
白い服はあまり選べなかった。
帽子は髪が見えなくなるから嫌った。
アニメが教科書の幼稚園児にとって、
『帽子とは女であることを隠すもの』
であった為に私は帽子を意地でもつけなかった。

小学生になると親の仕事で遠くに転校した。
最初父のは単身赴任だったが、
幼稚園から小学校で周りの人間が一変して、
怒鳴る教師だらけの学校に私も疲弊していた。
そして名前で男子からいじめられた。
オカマだと言われた。
それから私は自分の女らしさに自信を失った。
小学二年生で女の何がわかるわけでもないが、
性別という自分を形作る一つを否定されるのが苦しかった。
自分の名前が歌詞に出ると叫ぶようになり、その後は耳を塞ぐようになり、最終的には自分の手を引っかく自傷行為をするようになった。名前では呼ばないでと周囲に頼んだ。
そんな常に見えない敵との攻防をしているように暴れる癇癪持ちの私を周囲は当然嫌った。

同級生から陰口を告口され、教師に言いに行こうと言われるまま呼び出され、普段から優しくて絵が上手で尊敬してた子がすぐにごめんなさいと言ってきた時は本当に言われてたんだと悲しかった。
私は好かれようとするにも人と趣向を合わせることと物を貸すことくらいしか人に優しくする方法がわからなかった。消耗品も貸すから親には怒られた。自分は嫌われた存在って認識があったから、相手の幸せを願うなら自分は離れなくてはいけないという認識もあった。

母親には普通の子になってほしいと常に言われ続けた。病院に連れて行くと脅されて普通になるからと泣き叫んで学校に行くものの、体育や昼休みのクラスでの運動では足手まといだと怒鳴られ、授業中の音読では聞こえませんと野次を飛ばされ、図工の時間では絵を馬鹿にされ、そのたびに泣いて教室を飛び出して、失敗経験だけが積み重なっていった。廊下を歩いていれば名前を馬鹿にしてきた男子に死ねと言われる日々だった。どうしたら耐えられたのか今の私にはわからないし、そもそも耐えるべき場所だったなんて思いたくはないけれど、私は小学生の頃から自分の性別に対してか、自分の名前に対してか、強いコンプレックスを持っている。
自分の性別を嫌っているのではなく、自分の性別に固執している。自分を組み立てるパーツである名前が使われるべきものではなかった。まるで壁が一つ抜けた家のような状態で、私はハリボテの壁を必死に支えながら常に外からのストレスに晒されているようで、こんな状態で普通なってなんて酷いことを言ってくるよと今では思う。普通じゃない名前にしたのは母親の方なのだ。私だって普通に生きて普通に楽しみたかったのに、あらゆる言葉、自分に関係のない空想の世界の登場人物が自分の意見を述べるところを聞いただけで自分への否定や攻撃だと思ってしまうまで追い詰められてしまった。この世にある安価な趣味の代表格であるテレビ、読書も楽しめない。だから私は自分の名前なんて大嫌いだ。着たい服を自由に選べず女らしさに気を遣ったり、食べ物や飲み物も女らしさで選ばせる学生時代を送らせたこの名前が本当に大嫌いだ。