毒親育ちは友達を作れない

友達を作るとき、人は何を考えるのか。

私は幼稚園くらいだと、

「近所の公園にいたから一緒に遊んだ」

くらいの理由で自分と同い年か小さいくらいの子に、

よく声を掛けて遊んでいた。

公園の近所に住んでる子とはとても仲良くなった。

同じ年代の頃に遊んだ子の顔は全く覚えていないのに、

女の子の顔はとびきり可愛かったは覚えている。

その子の兄達にはよくゲームを貸していた。

貸したゲームを見ていると倒せなかったボスが、

簡単に倒されていくものなので、

夢中になって残機を集めては貸していた。

女の子とはゲームボーイのソフトを交換して、

公園のそばにある玄関で長々と遊んでいた。

 

私には母親の友達の子供こそいた。

しかし私はのび太みたいな立ち位置で、

ジャイアンスネ夫みたいなやつらと遊べば、

桃鉄で酷いリンチを食らう立ち位置だった。

女の子もいたが習い事が多い子で安定して遊べず、

年下の女の子は中国人ママで物凄く怖かった。

母は頻繁に年下の女の子の優秀さを羨んでいた。

身体が細くて英語も使える頭のいい子だった。

中国は子供への教育が厳しいことを最近知って納得した。

しかし彼らはママ友の子供だった為、

一緒にいると母親という存在がつきまとった。

 

あれは家に招かれて食事をした日のことだった。

私は熱いご飯茶碗を持つことが出来ず、

「あつい!」と茶碗を机に置いて食べようと思った。

すると母が「お茶碗を持つのはマナーでしょ」とキレ出した。

「○○ちゃんは持ってるでしょ!」と怒り、

私は「あつい」とボロボロ泣きながら食べた。

全く同じことは二度ほど繰り返された。

他にも友達が石を投げるのを真似して投げたら、

私だけ友達の親に怒られて母にそれを無視されたり、

友達と喧嘩しちゃいけない(幼稚園児相手)とか、

いつもとは別人のように厳しくなった。

だから私は次にママ友集団と食事をする時、

コンビニ弁当だったので加熱のいらない冷やし中華にした。

 

公園近くの子は母の知らない子供だったので、

遊んでいて楽しかったしとても気軽だった。

しかしこれが小学校くらいになると、

近所の子供はみんな顔見知りになってしまうのだ。

 

私は友達作りを恐れるようになった。

他のみんなと違ってなんとなく楽しいからでは遊べなかった。

友達がいれば親は厳しくなるし、比較もしてくるし、

友達の数だけ自分はどうでもいい存在にされると、

もう感じ取ってしまっていたのだ。